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アサヒビール大山崎山荘美術館(当ホテルより徒歩約10分または美術館専用送迎バス停徒歩1分)
実業家「加賀 正太郎」が自らの山荘として設計、建てたものです。山荘は大正時代に木造で建てられたのち、昭和初期に増築されました。第一期山荘は、欧州旅行より帰国した加賀がイギリスの炭鉱主の家を参考に設計したといわれています。この部分は現在では玄関に名残りを残すのみとなっております。増築は、規模、棟数とも、最初の工事を大幅に上回り、今日の山荘の姿ができあがりました。
平成に入り、天王山麓の大規模開発が計画され、付近の環境破壊が心配されました。天王山周辺地域の景観を保全したいという京都府、地域の方々の熱意に応え、アサヒビールは京都府、大山崎町のご協力を得て山荘を保存することとしました。できるだけ多くの人々にお喜びいただけ、また足を運んでいただけるよう、美術館としての活用を提案。建築家「安藤 忠雄」氏に山荘の修復、新館の設計を依頼し現在に至ります。(アサヒビール大山崎山荘美術館ホームページより)
サントリー山崎蒸留所(当ホテルより徒歩約10分)
「日本の風土にあった、日本人に愛されるウイスキーをつくろう」。寿屋(のちのサントリー)の創業者である鳥井信治郎が、日本初のモルトウイスキー蒸溜所である山崎蒸溜所の建設に着手したのは1923年のこと。蒸溜所の建設地となった山崎の地は、ウイスキーづくりに適した良質な地下水が豊富に湧き、更に湿潤な気候はウイスキーの熟成に欠かせない条件を満たしていました。特に山崎の水質は当時のスコットランドの醸造学の権威であったムーア博士が絶賛するほど。ウイスキーづくりの理想郷であるこの山崎の土地で、大戦などの苦難を乗り越えて世に送り出した「トリス」「角瓶」「オールド」「ローヤル」などの数多の名酒は、時代を華やかに彩り、日本のウイスキー文化を牽引してきました。
そして現在、シングルモルト“山崎”が広く世界で愛され、高い評価を受けています。山崎蒸溜所……ここはまさに「日本のウイスキーのふるさと」と呼ぶにふさわしい歴史をいまも刻んでいます。
また、2014年11月「シングルモルトウイスキー山崎シェリーカスク2013」が、2015年のワールド・ウイスキー・バイブルでTOPタイトルを受賞しました。ウイスキーの専門家である著者のジム・マーリー氏は100点満点中で97.5点を与えた上で、「ほとんど言葉にできないほど天才的」「優雅で大胆な香り、軽やかでスパイシーな味」と称賛しています。
天王山
「天王山」といえば「天下分け目の大決戦」の代名詞となっています。しかし、実際の合戦は、天王山の東側の湿地帯で行われ、勝負を決したのは淀川沿いの戦いであったと伝わります。
天正10年6月13日(新暦では1582年7月12日)申ノ刻(午後4時半頃)、天王山の東側に展開した明智勢が、羽柴(豊臣)秀吉方の先手、中川清秀、高山右近、羽柴秀長らの諸隊に攻めかかった。天王山と淀川の間の狭い道を出て来る羽柴方を各個撃破する作戦です。
しかし、戦いは明智光秀の思い通りには進まなかった。天王山の東側には油座で知られる山崎の町があり、その東側には広い沼地が広がっていた。この地形が双方の行動を制約、斎藤利三、並河掃部、松田太郎左衛門らの精鋭を連ねた明智方の猛攻でも、羽柴方の先手を崩すことができず、その間に、淀川沿いでは羽柴方の池田恒興、加藤光泰、木村隼人らの諸隊が進攻、円明寺川の東側にも上陸した。川沿いの明智方は手薄で、ここを守る伊勢与三郎、御牧三左衛門、諏訪飛騨守らはたちまち苦戦に陥ったようです。
羽柴秀吉が本陣の大部隊と共に天王山の東に出たのは、合戦がはじまって半刻(約1時間)ほど経った頃です。この図はその直後の戦場を、北から南向きに描いている。画面左側の水色桔梗の幔幕に囲われた光秀の本陣では、後退する味方の様子に不安な気分が現れています。右側の秀吉の本陣では勝利の確信が拡がり、貝を吹く足軽まで自身と勇気に溢れている。
画面右上では、参陣の遅れた丹羽長秀が山崎の木戸を通り過ぎようとしています。 天下分け目の決戦は、日暮れた後に終わりました。破れた明智光秀は勝龍寺城(画面左側)に逃げ込み、その頃、秀吉は天王山に登って戦場を見下ろしたかも知れません。闇に包まれた戦場跡には、負傷者を援ける松明が無数に揺れ動いていたことだろうと思います。
妙喜庵(茶室 待庵(国宝))
日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室が当ホテルの隣にあります。にじり口が設けられた小間(こま)の茶室の原型かつ数奇屋建築の原型とされ、妙喜庵には、天正10年(1582年)の山崎の戦いのおり羽柴秀吉(豊臣秀吉)の陣中に千利休により建てられた二畳隅炉の茶室を解体し移築したとあります。
茶室は切妻造杮葺きで、書院の南側に接して建ち、茶席は二畳、次の間と勝手の間を含んだ全体の広さが四畳半大という、狭小な空間です。
現存する唯一の利休が残した茶室…。ぜひ一度、ご覧ください。
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